変換器の雑記

観た映画やアニメの感想を書いていくかも知れません。

スタァライトされてしまった人間の殴り書き・・・劇場版の感想①

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『少女歌劇レヴュースタァライト

私は盛大に出遅れながらもこの沼に落ち、感情をグチャグチャに掻き回されてしまった一人のオタクです。
TVアニメ12話、総集編『ロンド・ロンド・ロンド』、舞台『The LIVE #1』と『The LIVE #2』のリバイバル上演版を立て続けに視聴し、その勢いのまま『劇場版』を観劇しました。

 一度に大量のキラめきを浴びてしまって既に虫の息です。ありがとうございます。

今のこの気持ちをどこかに吐き出したい・・・けど身近にこのシリーズの話が出来る人が居ない・・・じゃあ取り敢えず、文字に書き出すことで発散しよう。これはそのためだけに書かれた文章です。めっちゃ長いです。

 

 TVアニメ版、総集編、劇場版、舞台版のネタバレ全開なので未見の方はご注意ください!

 

 

 

 

《前置き》

 

以前からこのシリーズに興味はあったのですが、ここまで熱に浮かされ、感情を支配されるとは思いもしませんでした。
アニメ第1話を見始めた時は、「華恋かわいいなー」程度のことしか考えていなかった。
しかし、第1話の終盤・・・オーディションへの飛び入り参加、そこからの名乗り上げ、そして瞬く間に展開される歌と殺陣、決着ーーー。
画面の前に座る私の目には、彼女たちのキラめきが時間を超えて空間を超えて、降りかかってきていたように思います。

 

 美しい・・・。


今までに何本のアニメや映画を観てきたことか分かりませんが、「面白い」や「楽しい」ではなく、心から「美しい」と感じられた作品はあまり思い浮かびません。
振り返ってみると、あの時私は確かに『少女歌劇レヴュースタァライト』の客席に着いたのでしょう。
もっと早く観たかった。シリーズが展開されていく様をリアルタイムで楽しみたかった。出来るなら、同じくこの舞台に魅了された観客の方々と一緒に。

『劇場版』の全国公開日は2021年6月4日、もはや半年前のこと。
客入りは大変に好調のようで、都市部では未だに上映する劇場が追加されていっているようですが、ほとんどの劇場では既に上映が終了しています。
『劇場版』のBDがもうそろそろ発売するようだし、それを待つことにしてしまおうか。そんな考えが浮かんだ頃でした。
先日ツイッタースタァライトについて色々と検索している時、こんなことを仰っている方を見ました。

 「劇場版は円盤や配信で済ませばいいやと思っている人、少しでもスタァライトが好きなら絶対に映画館で観て欲しい。映画館で観ることに意味がある作品だから。」

私はその翌々日、片道3時間ほどの道程を車を駆り、某映画館で『劇場版』を観ることになりました・・・。
結果的に、私は大画面に映る99期生たちに釘付けになり、映画館ならではの音響に圧倒され、そして彼女たちの命のキラめきに涙することが出来ました。
『劇場版』のBDは既に予約していましたが、もしもこれを初めて観るのが自室のモニター越しであったとしたら・・・。
素晴らしい作品であることは間違い無いのに、きっと私は後悔していたでしょう。
作り手の方々が魂を込めて作ったものを、それを万全の状態で受け止められなかったことに。そうするために行動しなかったことに、必ず後悔していた。
あの時、私に向けた言葉ではなかったとしても私を劇場まで後押ししてくれた、あなたのおかげです。
本当にありがとうございました。

そうして観劇した『劇場版』。
正直なところ、すべてを咀嚼し、理解し切れたとは全く思えません。

 なんでキリンが野菜なの?
 なんで皆トマト持ってるの?
 どうしてまたあの謎空間に?
 会場は学園の地下だったはずなのになぜ地下鉄?
 皆殺しのレヴューって何だったの?
 キリン死んだの?
 そもそも『劇場版』で行われた99期生それぞれのレヴューは何だったの?

 うん、全然わからん。


きっと公開から今日までの半年間で多くの方が様々な考察や解説をされているのだろうと思いますが、私だけの感想や思考を書き出して自己満足がしたかったので、現時点ではそれらの記事を全く見ていません。
私には専門的な知識や含蓄は無いので表面的なことしか分からないのですが、それでもスクリーンに映る彼女たちは美しかった・・・。
そんな私の、頭の整理をつけるための感想とも考察ともつかない文章を以下に記します。

見当違いなことを言っている部分もあるかとは思いますが、そこはご容赦いただけるとありがたいです。

 

 

冒頭の砂漠シーンについて》


急にトマトが弾けて始まるシーン。
銃撃されたような音も合わさり、めちゃくちゃびっくりしました。
初っ端からぶっ飛んでいる・・・。
理解が追いつかない内に映像は進みますが、どうやらひかりはまた聖翔音楽学園を退学したらしい。
TVアニメ版の最終盤で2年A組に戻り、皆と鍋を囲ったのになぜまた離れていってしまったのか・・・と、観客の興味を引く導入でした。
ひかりは自分の考えや感じたことを全然他人に明かさず一人で行動してしまうタイプだと思っているのですが、それに振り回され続ける華恋が不憫でなりません。
後のシーンでばななが「皆、喋り過ぎだよ」と漏らしますが、ひかりはもっと皆と喋りなさい。

きっと他者との距離感を測ることが苦手な子なんでしょうね。この作品の場合、ひかりだけに限った話ではありませんが・・・。
なぜ退学したのかは後半で語られることになりますが、その理由についての感想は後ほど。

 

皆殺しのレヴューについて》

 突如として電車が変形して現れたステージ。
 ただ一人訳知り顔で立ち塞がる黒ばなな。
 剣戟、大立ち回り、降り注ぐ血のり、皆殺しーーー。

 なんだこれ???

きっとこれ以上無いほどに登場人物と観客の思考がシンクロしたシーンだったことでしょうね。
私の中でまだ整理がつかないレヴューなのですが、ばななが発した「再演を繰り返す中で、皆の死を見た」という台詞と、作品が向かうこの後の展開に答えがあるような気がしています。

きっと「皆の死」とは、『ロロロ』のラストシーンに映った99期生たちの死体の山を指しているんでしょう。
聖翔音楽学園という、入学すら難しい名門学校ではありつつも所詮は閉じられた世界でしかない場所
そこで得る経験、仲間、ライバル、思い出・・・何物にも替え難いものであったとしても、それに満足して歩みを止めるようでは舞台少女としての死は免れない

 

 そんな死を皆に経験させるくらいなら、私の手で殺す。

 

私には、ばなながそう言っているように見えました。
そしてその後、皆はそれぞれのケリをつけるためのレヴューを演じ、解決し、新たな舞台少女としての道を歩き出す・・・アタシ再生産。
ばなながそんな展開まで見越していたかどうかは分かりませんが、あの血のりがただの舞台道具であったことから察するに、皆に対して本当に害意を持っていたわけではなかったのだろうと信じています。

強いお酒を飲んだみたい・・・3回もこの台詞を発したばななの真意は、今後色々な考察を見て深掘りしてみたいところです。

 


石動双葉と花柳香子について》

 

怨みのレヴュー。
TVアニメでも繰り広げられた痴話喧嘩の再演・・・かと思いきや、今度こそ2人は離れ離れになるようです。
正直なところ、この2人が本当に別々の道を行くことになるとは思っていませんでした。
幼馴染という関係性は華恋とひかりにも当てはまりますが、双葉と香子は幼い頃から絶えず一緒に過ごしてきた仲。
双方の主張をぶつけ合い、受け止め合い、きっとどちらかが相手に合わせることになるのだろう・・・いやそんなの甘いから。自分の意思は曲げられないから。
画面越しにガツンとお叱りを受けた気分でした。

 

レヴューの導入こそコテコテに仕上がった演出と口上で若干の悪ノリを感じるものでしたが、共依存からの脱却、自己の確立、現実との対峙・・・如実に『劇場版』の、ひいてはシリーズ全体の主旨を表していたレヴューだったと思います。

 

個人的には、導入の立会人としてクロディーヌが参加したのがとても良かったなと思います。
双葉とクロディーヌの関係性大好きなんですよね・・・お互い目標というかコンプレックスになる対象が身近に存在して、その存在に到達するために努力することこそ自己証明になるとすら感じていそうな、近しい雰囲気を持っていた気がします。
そんな友人としての双葉とクロディーヌも、今回の『劇場版』で2人とも次の舞台へ進んだように思います。

 


露崎まひると神楽ひかりについて》

 

競演のレヴュー。
またまひるのぶっ飛び野球場が見れる!
と思ったら、それ以上にとんでもないレヴューが繰り広げられました。もうサイコホラー映画だよ。

 

色々と触れたいシーンはあるのですが、このレヴューで一番重要なのはやはり「ずっと大嫌いだった」という台詞なのではないでしょうか。
この2人の間には、愛城華恋の隣という大きな因縁がある(というよりもまひる側が一方的に因縁を感じている)ことは既知の事実です。
ただ、その因縁もTVアニメで一つの決着を見せ、まひるは自らの舞台を見出すことが出来た・・・と思っていたところにこれ。
一応、レヴュー終演後にまひる「私も演じるのが怖かった、今も怖いよ」といった旨の発言をしていますが、演じた台詞ではあっても嘘ではなかったんじゃないかな・・・と私は感じました。

 

大好きな華恋ちゃん。その華恋ちゃんが大切にしているひかりちゃん。
華恋ちゃんとぶつかることで私の中にある嫉妬は解けて、私は私の夢を追い始めることが出来た・・・なのにあなたは、華恋ちゃんから逃げるの?
華恋ちゃんを大切にしないひかりちゃんなんて許さない・・・。

 

あのサイコホラー演出も、全てはひかりに対して真っ正面からぶつかるまひるの心だったのだと思います。それにしても怖過ぎるが?

そして、もう一つ私が重要だと思っているのがまひるからひかりへ渡された、ボタンで出来た金メダルです。
あのボタンは地下劇場で繰り広げられたオーディションにおいて、斬り飛ばされると敗北を意味するものであり、引いては奪い奪われるキラめきの象徴、あるいは舞台少女のキラめき(=舞台少女としての命)そのもの・・・そう私は解釈しています。

オーディションの敗北条件はあくまで上掛けを落とされることであって、ボタンを失うことではない(実際、ボタンではなくロープを斬られて敗北する描写もある)のですが、劇中で幾度もボタンが弾け飛ぶ様子が描かれること、TVアニメのオープニングで再生産を連想させるかのように粉々のボタンが元通りになること等から、やはり象徴的な描かれ方をしていることは間違い無いと思います。

 

そして更に重要なのが、劇中で唯一このボタンを他者へ引き渡したのが露崎まひるであること。
TVアニメ最終話において華恋が自力でボタンを修復したことはありましたが、誰かがこのボタンを他者に与えた/与えられたというような描写は他に無かったと記憶しています。

 

舞台少女としてのキラめき。舞台少女の命。
それを失い、更には競演のレヴューですら敗れたひかり。
「華恋が怖かった」と吐露するひかり。終盤には、更に「華恋のファンになるのが怖かった、目を奪われた自分が許せなかった」とも明かします。
舞台役者のファンになってしまうことは、私たち観客からすると何の変哲もないことのように感じられます。
しかし、彼女は舞台少女。トップスタァを志す自分が誰かのファンになるということは、自ら白旗を上げることに等しい。

舞台に身を捧げてきた彼女にとってこれほど恐ろしいことはなかったでしょうね。ましてや、相手は幼い頃に自らの手で舞台の世界へ引き入れた華恋。
そんな恐ろしさから逃げ出して、聖翔2年A組の皆から離れ、1人・・・。


そんなひかりに対して、ボタンで出来たメダルをかけてあげるまひる
「私も怖かった。」

怖いのはひかりだけじゃない。
でもその怖さを認め、それでも歩むことが出来たなら。

 

華恋ちゃんを大切にしないひかりちゃんなんて許さない。
でも、怖さを乗り越えて華恋ちゃんの元へ行くというのなら・・・そんなひかりちゃんこそ、私の大好きなひかりちゃんだから。

 

かつて華恋に救われたまひるが、華恋にとっての星であるひかりを救う。あまりにも美しい関係性だと思います。この相互関係を思うだけで涙が出る。
この時、まひるはもう彼女の目指す舞台少女として大きく成長し始めていたんじゃないでしょうか。
まさに燦々と降り注いで生命を与える太陽のように。

 



記事があまりにも長くなってしまうので2回に分けたいと思います。
語り足りない、まだまだ・・・。